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自然の法則に例外はない

매일종교신문 | 기사입력 2018/06/21 [11:17]

自然の法則に例外はない

매일종교신문 | 입력 : 2018/06/21 [11:17]








私は時々文章を書く。批判して、非難する文章もある。私の文を読んだ某宗教団体指導者が私に尋ねた。「なぜ良い話は置いておいて、否定的な話だけ選んでするのか?」間違った話ではない。「良いみ言は聖職者や教師、あるいは社会指導層にある人々が厳かで建設的な言葉だけ語るが、私は聖職者でもなく、教師でもなく、社会指導層にいる人でもないのに同じように良い話をする必要がありますか? 私は私の目に見える現象そのままを話しているのです。」と言った。 



私が特別な位置にあるとか何か能力があって批判して、非難する文章を書くのではない。誰もが言いたいのに話すことができずに心中に閉じ込めている言葉を私が代わりに話すだけのことだ。猫の首に鈴を付ける愚かなことだと思うが止めることができない。やるせないからだ。


人々は批判する人をひねくれ者と見ている。だが、批判は『事物の正しさ・間違いを判断して明らかにしたり、誤った点を指摘すること』なので肯定的だ。キリスト教徒が、救世主であり神と信じているイエスは「批判を受けたくないのなら批判するな」と諭した。批判すれば批判を受け、そうなると互いに良い関係を結ぶことができないためだ。だが、イエスは呪いもした。


イエスの教えと行跡をしたためた四大福音書はイエスのユダヤ教人に対する批判が相当部分を占める。ユダヤ教人に対する憎しみと卑下、差別性発言があちこちで見てとれる。イエスは愛を強調しながらもユダヤ教指導者を辛らつに叱責した。彼らを不道徳で、淫らな世代と規定した。


大祭司長と長老を羊の皮をかぶって略奪する狼、不法を行う者だと糾弾した。「収税人と遊女が彼らより先に神の国に入る」と毒舌を浴びせた。書記官とパリサイ人に対しても「彼らの行為を見習うな。天国に入らせないようにする者で、表面はきれいだが中身は貪欲と放蕩にまみれ、外飾と不法に満ちている者」と非難した。また「まむしの子らで、地獄の刑罰からのがれられず、地の上に流された義人の血の報いがみな彼らに及ぶであろう」と呪った。


イエスの『批判するな』という話は、誤りを指摘しないで良いものは良いというふうに目をつぶらなければならないという意味ではない。教理や教祖の教えも腐敗した者を冷遇しろとは言わない。今の宗教の現実をイエスの目で見れば、漆くいを塗った墓のようだろう。トマト一つが腐れば周囲のトマトも腐る。宗教指導者の誤りを放置すれば宗教団体が市場の出店になってしまう。


腐敗した指導者は毒きのこと同じ存在だ。他の魂まで壊して、誤った道に引き渡す。人は肉的欲望によって生きれば、魂が成熟できずに中身のない人格になり、カカシとなる。形は人だがその中には人としての人格が入っていない。


意識が低く、軟弱な精神を持った宗教指導者は肉的欲望に従って生きる。自然に偽善者となる。俗人と一つも違わない。権力とお金と快楽を追求する宗教指導者は聖殿で商売をする者だ。教条と宗教を亡ぼす。人々が背を向ける。カトリック法王のフランシスコは『主教セックススキャンダル事件』に対して謝って許しを請うた。カトリック教会の恥さらしだ。


宗教は自ら世の中の光だという。世の中は宗教指導者に厳正な倫理的・道徳的定規を突きつける。宗教指導者になるには肉的欲望を捨てて生きなければならない。宗教が光を失えば人々から後ろ指を差され、聖殿は神と教祖を売る店になってしまう。


時代は絶え間なく変わったが宗教の現実は変わらなかった。中世時代でも現代社会でも違いがない。宗教人たちは自分の宗教法が世の中の法の上にあると勘違いしている。宗教も時代の変化に対処できなければ衰退する。自然の法則に例外はない。(毎日宗教新聞会長)

(翻訳:Naoko記者

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