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迷妄

매일종교신문 | 기사입력 2018/07/05 [10:30]
‘従心’, 古希を迎え、宗教の本質を考えてみる

迷妄

‘従心’, 古希を迎え、宗教の本質を考えてみる

매일종교신문 | 입력 : 2018/07/05 [10:30]

筆者年齢今年人生七十古來稀古希です。無事70になることをんでいましたが、ついに70歳になりました。

70になって、あのけばく』は、ある道人言葉込められているからでしょう。70年生きてきた間、あらゆるをし、ったから良いにいくという意味からきた言葉なのでしょう

孔子は『歳が70なら、従心』と言いました。ここで従心とは『従心所慾不踰矩』の略語で「歳が70になればしたいようにしても、法度を破ることはない」という意味で『論語為政にあります。

筆者70自分解放自由じて、一方では迷妄だったったを顧みながら、「自然万物と人にどれだけ被害えたのだろうか? みで測量するとどれくらいになるのか? 隣近所にお世話になったことをってみたり、換算するとどれくらいになるかな?」と回想しながら「りの人生しでもしてかなければならないのだが...」と心配しています。

筆者は宗教を研究し勉強して10年になりました。 宗教の良い点は2千余年の間、強調されてきたが、なぜ言行一致がならないのか? 何が問題なのか、その答えを探すためにさ迷った旅でした。時には「これだ!」と思って感激したが過ぎて見るとそうではなく、このように繰り返したことがどれほどあっただろうか。愚かな自身を嘆いて「自分は何か? いったいこの考えはどこから来て何であり、心は、また、何であろうか?」根源を知りたくて聖人の御言葉と歴史を追跡しました。

少し前には、によって裕福家庭破綻させ、お出し、すべてを献納し、生活し、晩年には考試院(コシウォン:低家賃の居住施設)一人いて病気になり死亡したある老いた勧士(クォンサ:キリスト教の教職の一つで伝道の任務をもつ)の便りを知人を通じて聞きました。

夫と子供たちを捨てて家を出た母、死の直前に他人の勧告によって母親を訪れた子供たちの心情はどうであったろうか? 筆者は自分を振り返りながら、公憤心に悔しくてやるせなく残念でした。

宗教によって親子の間に広がる弊害を私たちの周辺でもマスコミなどを通してよく目にします。世の中を救援するという一部の宗教がむしろ世の中に懸念を与えて、世の中の法の審判台に立つのを見ています。何がそのようにさせるのか? 未知の世界への保障のためか? でなければ死んで『良いところに行く』という漠然とした信仰ないし期待心理の発露か? 親子、隣近所(世の中)に被害と苦痛を与えて、最後に得ることが何か? 魔軍や邪悪な神の悪だくみか? 自問するようになりました。人間と自然万物が一緒に暮らしているこの地球村に邪悪な存在たちの宣伝扇動に吊られ自分を失って虚空を漂う迷妄の衆生たちがあまりにも多いというのが残念なだけです。

「努力の代価で身分相応に暮らそうとせず、宗教に依存して神の助けを受けて、自分の目的としたことを成し遂げようとする人は過ぎ去った宗教の歴史を見て、世の中を見なさいということです。準備せず努力もせずに得ようとだけする人に自分の宗教を信じれば得られ、死後まで保障するならば似而(似而非)で、そのような神は邪神だ」と齢70で悟ったのです。

『植えたとおり刈り取られる』とは天理原則、『無往不復』すなわち、私が行動して言ったことはすべて私に戻ってくるという『周易』のみ言葉を想起しつつ、「地獄は人間自らが歩いて入ったのだ」という法王のみ言葉を振り返りかみしめています。 (毎日宗教新聞会長)

(翻訳:Saori記者)


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