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遷都と風水思想

SAORI記者 | 기사입력 2020/09/11 [16:08]
『統一韓国』の首都はどこになるだろうか

遷都と風水思想

『統一韓国』の首都はどこになるだろうか

SAORI記者 | 입력 : 2020/09/11 [16:08]

 統一韓国』の首都はどこになるだろうか

 

高麗の将軍・李成桂(イ・ソンゲ)が易姓革命後、朝鮮を創業し、漢陽を首都に定めて遷都した年が太祖3年(13941025日)だったので、今から626年前のことだ。彼は即位するとすぐに都を移すことを教示する。国名を決める前に突然の遷都を推進したのは、当時の首都だった開京の民心が彼に従わず、漢陽(ハンヤン)で李氏の機運が蘇るという図式に深く陥った可能性があると考えられる。

 

李太祖(イ・テジョ)の意中を読んだ権仲和(クォン・ジュンファ)(胎室証考使、領三司事、後に領議政)が鶏龍山(ケイヨンサン)が新都として吉地であることを薦める。しかし、河崙(ハリュン)(京畿左右都觀察使)の反対で王は鶏龍山をあきらめるが、遷都の意志は確固だった。しかし、首都を移したい王と首都移転を望まない臣下の間で葛藤が表出したりもする。その例として、判中樞院事の南誾が「古跡の土地を掘り起こして、再び宗廟(チョンミョ)を建てるべきではないか」という意見を示している。彼の主張は風水学の立場から見れば詭弁に過ぎないが、残っただけでなく大部分の重臣たちが首都移転を決して望んでいなかった。だから、すでに使った旧跡を再び使わないという風水の原理を歪曲してまで開京にとどまることを望んだのだ。だからといって、 李太祖としては、開京に居続けるのはもっと不可能なことだった。

 

李太祖は多くの臣下たちとの論争と紆余曲折の末、開京の次に良い土地が漢陽だという意見を受け入れる。ここには「松島(ソンド)はすでに負けると閉鎖し、漢陽で木子(モクチャ:李)が国を得る」という図讖説に頼り、高麗王朝を覆した自分の易姓革命の正当性を天から与えれようとした本音も作用したと思われる。

 

とにかく、これから600年余りの長い歳月の間、ソウルは政治、経済、社会、文化、外交、歴史の中心地であり、国と栄辱を共にしてきた。首都は国の顔であり心臓部だ。しかし、今日の1千万人口のソウルは人口、住宅、交通などにおいて飽和状態であるため、ソウル市自体の必要によっても、行政首都の移転問題は機会あるごとに提起されてきた。朴正熙(パク・チョンヒ)政権末期にも進められたが、突然の逝去により中断されてしまった。特に、南北分断後、互いに異なる両体制がソウルと平壌(ピョンヤン)にそれぞれ首都を置いているのが実情だ。

 

北朝鮮も政権初期、憲法には首都がソウルであることを規定していたが、72年末に平壌(ピョンヤン)に変えた。194898日、「朝鮮人民委員会常任委員会」が通過した憲法(政権樹立後初めて制定された憲法)の第9章第103条に「朝鮮民主主義人民共和国の首府はソウルだ」と規定し、この条項は1971年まで変わらなかった。そして「74南北共同声明」が発表された後の721228日、「社会主義憲法」改正を通じて「朝鮮民主主義人民共和国の首都は平壌だ」(改正憲法第11章第149条)に改めた。

 

このような事実は、首都をどこに決定するかという問題が、南北双方が経なければならない重要な交渉対象になり得ることを物語っている。首都がどこに、どのように決定されるかは、統一がどのような方式で行われるかもかみ合っていると考える。

 

武力統一による一方的な首都としてハノイを定めたベトナムを除いては、ドイツのベルリン、イエメンのサナア、オーストラリアのキャンベラ、独立国家連合(CIS)のミンスクなどが政治的妥協によって決定された首都だった。妥協による首都決定は非常に敏感な政治的問題でもある。

 

このようにソウルが抱えている当面の現実的な問題の解決とともに、やがて近づく南北統一時代に備えるためにも、首都移転問題は重要な関心事であることは間違いない。この二つを満足させることができる首都はどこだろうか。

 

しかし、我々にとって統一後の首都決定にはいくつかの基本条件を前提とする。それは中心性、中立性、接近性、伝統性などだ。第一に、中心性は首都を韓半島の中央に置くべきだという主張だ。国土の均衡発展の面でも中心軸に置くのが基本だとのこと。第二に、中立性は南北双方が感情なしに受け入れられる普遍的な地域を選択しなければならないということだ。第三に、アクセスは鉄道、道路、港湾、国際空港などが近くにあり、利用に便利でなければならないということだ。第四に、歴史と伝統性を勘案しなければならないということだ。

 

このような条件の下でまずソウルを挙げることができるが、現在の1千万の人口も管理が難しい状況で、市場経済体制下での統一は、莫大な人口がソウルに押し寄せることが予想されるという点を考慮すれば、行政首都の移転は避けられないだろう。

 

 

ソウルの次に浮上する開城、坡州郡の交河、臨津江地域、鶏龍山新都内

 

次に開城(ケソン)、坡州(パジュ)郡の交河、臨津江地域、鶏龍山新都内など主に中部圏地域が立地として浮上している。「統一韓国」は国土の一体性を回復することが重要であり、分断後遺症としてのソウル- 平壌の中心の両極化を緩和する多核構造に改編すべきだという意見もある。このため、歴史的な伝統性があり、ソウルと平壌の中間程度であるうえ、ソウルからそう遠くない(約1時間半)高麗の首都である開城または坡州交河が立地として挙げられるという見解もある。

 

朝鮮王朝 光海君(クァンヘグン)の時、今の交河に移そうという遷都論が提起された。しかし、その時は海洋都市が首都になれない時代だったので、実行に移せなかった。上訴をして交河遷都を請う地理学者の懿信は、このことで危うく命を落とすところだったという。しかし、今日の時点、そして南北統一後なら、立派な国都経営策と考えるべきではないだろうか。風水地理学上では従来の背山臨水の得水局(開城、漢陽)の地で海洋平野地帯である平地龍の土地という点で代案として提示されるのも当然だ。

 

臨津江一帯は南北(韓国、北朝鮮)統合のイメージを植えつけるのに良く、ソウルが持っている集積利益を最大限活用でき、開発に必要な土地の確保可能、南北幹線の軸上に位置、DMZ自然公園との調和のとれた開発が可能、仁川空港及び仁川港、海州港との連携の可能性などが挙げられる。最近、ある団体がこの地域に平和公園の造成と第5国連事務局を誘致しようという運動を展開して関心を集めている。

 

鶏龍山新都内は風水思想でも新しい首都に挙げる主張が多い。ここは高麗以前の三国時代の首都、藏風局とソウルの得水局を合わせた「藏風得水局(チャンプン・ドクスグク)」の吉祥の地であり、山太極水太極型であるため、昔から大吉地という風水学的解釈のためだ。すでに陸・海・空の3軍本部が移して、「軍事首都」としての機能を始めて久しい。近隣地域には、頭脳が集まった科学研究団地がある。また、鶏龍新都市もこれを物語っている。

 

その一方で、すでに行政部処(省庁)が移転した世宗市も依然として異見がある。風水地理的に鶏龍山の前ではなく、後の裾に位置しており、行政首都として不適切な見解だ。むしろ、財産を集める都市として適しているため、経済や科学(ITなど)、教育都市として開発するのが望ましい。このように首都移転には様々な意見があり得るし、予想地域も仮定することができる。

 

盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が民主党候補の時代に大統領選挙運動が熱くなった時点で掲げた行政首都の忠清(チュンチョン)地域に移転公約が問題になったことがある。彼は大統領になってから首都移転公約で「少し利益を得た」と述べて話題になった。

 

最近、与党で首都移転問題をイシュー化している。不動産政策の失敗を免れようと首都移転をイシュー化し、世間の目を向けようとしているという野党の批判もある。政略によるものならなおさらである。それも行政首都移転だけでなく、 青瓦台(大統領府)と国会まで移そうという。大統領がいる青瓦台を移せばこれは遷都だ。国の運命とも直結する重大な国家の大事である。奇形化、恐龍化し、飽和状態の首都ソウルを移さなければならないという当為性には皆が共感する。しかし、首都は文化、スポーツなどに比べてハードウェアに属する。一度決めれば百年千年の長久な歳月が流れても変更しにくい。そのため首都の立地は急がず、統一後に備えて国土全体を念頭においてマクロ的な計画の下で慎重に検討しなければならず、国民的合意を得て決定すべきだ。特に「統一大韓民国」の首都を定めることは万代の国統を立て、万世の基礎を築くという眼目で扱うことだ。

金周鎬(哲学博士. EYtv副会長)

(翻訳:SAORI記者)

 

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