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『神が人間を創ったのか?人間の脳が神を作ったのか?』

이광열 기자 | 기사입력 2015/04/23 [14:49]

KBSパノラマ『神の脳』を基に書いた『脳、神を盗む』

『神が人間を創ったのか?人間の脳が神を作ったのか?』

KBSパノラマ『神の脳』を基に書いた『脳、神を盗む』

이광열 기자 | 입력 : 2015/04/23 [14:49]

昨年4月に放送されたKBSパノラマ『神の脳』を基に書かれた『脳、神を盗む』(KBSパノラマ製作スタッフ著作・人物と思想社 編・ 1万3千ウォン)が出版された。『神は本当に存在するのだろうか?』という人類歴史上、最も古い質問に対して宗教と科学の領域を行き来して、次々と繰り出す数珠つなぎの質問を通じて神と宗教と人間に対する物語を展開している。
 
現在、世界的に4,000余りの宗教が存在し、宗教を否定してきた科学の歴史にもかかわらず、科学が極度に発達したこの時代に『賢い』人々が神を信じる。この本は正にこの質問から始まった。21世紀になぜ神を信じるのか、科学的に見る時に非理性的・非合理的な信仰に対して神を信じる理性的で合理的な理由は何だろうか?という根本的問いでもある。
 
「神を信じるのと信じないのでは、どちらがより合理的なのか?」
 
『神は本当に存在するのだろうか?』これは人類歴史上最も古い質問だ。もちろん現代でも神の存在を証明する方法はない。ところで神に出会ったり神の声を聞いたと主張する人が少なくない。その中には名前を出せば分かるほどの世界的な有名人も少なくない。例えばソクラテス、ピタゴラス、ゴッホ、ノーベル、ナポレオン、シーザー、ドストエフスキー、モーパッサン、ダンテ、パスカルなどがその例だ。驚くべきことに彼らは神に会ったり神の声を聞いたと主張した。特にパスカルは31才当時の1654年11月のある夜、火花のような聖霊体験をしたといってこの時の体験を約600字分量の詩形態で羊皮紙に記録することまでした。
 
はなから天国に行ってきたと主張する人もいる。2012年10月8日付の『ニューズウイーク』は「天国は本物だ(Heaven is Real)」という記事を掲載した。イーブン・アレクサンダーというハーバード大学の神経外科医師が脳死状態に陥って7日ぶりに奇跡的に生き返り、脳死状態に陥っていた7日間に彼が天国に行ってきたと主張した。その後死を越えて新しい生活を送ることになり、神の無限で強力な力を信じるようになった。彼の話は本物であろうか?誰にも証明できない存在なのでひょっとして嘘をついているのではないだろうか? でなければ本当に神の声を聞いたり神に会ったのだろうか? のみならず彼は論理的理性と思考で世の中を眺めた脳科学専門家であった。
 
科学と理性が支配する21世紀にも、なぜ宗教は繁栄するのか?
 
21世紀の人類は過去のどの時代とも比較できない程賢くなった。インターネットショッピングをしても価格と性能を綿密に比較した後購買を確定し、運転をする時も目的地までの通行量と最短距離を分析し、でなければ最初からそのような機能を搭載したナビゲーションをつけた後に自動車を走らせる。このように私たちはすべてにおいて科学的で理性的であり論理的で合理的だ。ところがただ一つ、『神と宗教』に対してだけは合理的でない。神がいるのかいないのかも分からないのに、いない可能性がはるかに多く見えるにも関わらず、神と宗教に対する信仰は捨てないでいるというのだから。
 
神と宗教に対する情熱は世界的な現象だ。現在、世界的に4,000余りの宗教が盛況を成していて、世界人口の約80パーセントが宗教を持っている。『賢い人たちがなぜこのように神を信じているのだろうか?』この本は正にこの質問から始まった。21世紀になぜ神を信じるのか、非理性的?非合理的に見える信仰に対して理性的で合理的な理由は何だろうか?
 
宗教と科学を行き来して『神の居所』を探す
 
去る300年余りの間、科学は神の存在を否定するために絶え間なく努力してきた。過去神の領域や超自然的現象に属したものなども今は科学で説明することができるようになった。雷と稲妻は神が怒って下す天罰ではなく自然現象ということ、人類の先祖はアダムとイブではなくオーストラロピテクスということ等だ。それならば科学は神の存在を否定するのだろうか?ここにアイロニーがある。今まで科学は神の存在を否定するために努力してきたが、事実は神の実体を明らかにするために最も努力してきたのが正に科学であるからだ。物理学者ポール・デイヴィスの言葉のように『科学は神に接近する道を宗教よりはっきりと提示』している。
 
あげくの果てに最先端科学は消え失せた神の居所まで捜し出した。もちろんその場所は天上ではなく地上だ。もう少し具体的に言ってみればそれはすなわち人間の『脳』だ。もちろんそうだと言って科学は人間の脳が神を作ったと断定しはしない。科学が多くのことを明らかにしたが、まだ神と宗教の多くの部分は未知の領域として残っているためだ。この本は未だ神の領域として残っている部分を説明するために宗教と科学の領域を行き来して連想ゲームのような質問を通じて神と宗教と人間に対する話をする。
 
パスカルの賭け:「神を信じるのが利益だ!」
 
「神がいるのかないのか分からない場合、神を信じるのと信じないのではどちらがより合理的なのか?」今から350年余り前、パスカルは大胆にも『神の存在』について賭けを提案した。有名な『パスカルの賭け』だ。パスカルの賭けは人生はもちろん死後の世界にまでわたる大変な賭博だった。神を信じたが本当に神が存在するならば、天国に行くことになる。神を信じなかったが神がいるならば、地獄に行くことになる。神がいないならば両方とも何の利益もない。この有名なキリスト教弁証論を通じて結局パスカルが言いたかった話はこれだ。「神は存在する可能性がいくら低くても『神を信じること』が『信じないこと』より『利益』だ。」
 
もちろんパスカルの論理には限界も多く、数多くの変数を無視してしまったという非難を受けたが、神が自身の存在証明を許さない限り、人間が取ることができる選択肢はそれだけという点でパスカルの論理を非難することはできないだろう。
 
『神を信じること』と『信じないこと』のうち、どちらを選択するのか。
次は自然科学、社会科学、人文科学が覗き込んだ神と宗教に対するこの本の内容の一部だ。パスカルの賭けに参加する人間の脳として考えてみる価値がある主題だ。
 
 
『天国に行ってきた脳科学者』
科学は脳が意識を作り出すと説明する。だが、脳が『どのように』意識を作り出すかは説明できない。『脳と意識』は現代科学が一番最近研究を始めた分野で、率直に言って科学は意識に対してまだ知っていることが多くない。世界的な量子物理学者であるニック・ハーバート(Nick Herbert)もこのような告白をした。「私たちが意識に対して知っていることとは、足でなく頭と密接な関係があるということだけだ。」科学がたてた仮設が皆崩れて、イーブン・アレクサンダーは用心深くまた他の可能性を考えた。それが魂の存在だ。脳が意識、すなわち魂を作り出すのではなく脳と魂が存在する可能性ということだ。イーブン・アレクサンダーは天国を見たのは自分の魂、すなわち肉体から分離した意識だったと結論を下した。(本文30ページ)
 
『人間の脳が神を作ったのだろうか?』
現代科学は神は存在するという証拠は探し出せなかったが、脳が神を感じるという神経学的証拠はとても多く探し出した。人間の脳全体がすぐにスポットになることができ、瞑想と祈祷は脳を変化させ、特に理性的な前頭葉を活性化させるということも分かった。それなら可能性は二つのうち一つだ。脳が神を経験するということは脳が神を作ったという証拠になり得る。または、脳が神を経験するということは実際に神は存在するという反証になり得る。今や私たちは宗教がダブー視する困難な質問とぶつかってしまった。その質問はこれだ。『神が人間を創ったのだろうか?人間の脳が神を作ったのだろうか?』(本文84ページ)
 
『魂の重さはどれ程なのか?』
魂は存在するのか? 目で見ることも、手で触ることもできない魂の存在をどのように証明することができるだろうか?ひょっとして、魂の重さを測ることができるならば魂が存在するという強力な証拠にならないだろうか? 学校に通っている時習った質量保存の法則を思い出してみよう。ある物体に化学的反応を加えた時、その性質は変わっても前後の質量は変わらない。例えば熱いコーヒー一杯があるとしよう。コーヒーカップからゆらゆら熱い湯気が上がってくる。液体から気体に変わった水蒸気は暫くして目の前から消える。コーヒーカップの中からは正確にそれだけの質量が減っただろう。だが、その質量はなくなったのでなくこの世のどこかに存在するということを私たちは知っている。これは科学的に証明された事実だ。ひょっとして、魂にもこの法則が通じないだろうか?(本文106~107ページ)
 
『世界で一番幸せな脳』
神に対する信仰は脳を慰労し幸せにしてくれる。もちろんこれは神が脳の産物であるためなのか、あるいは神が存在するためなのかに対しては語ってくれない。だが、宗教的な信仰が私たちを肯定的な人生に導いてくれるということに対しては無神論者なども快く同意する部分だ。米国・ラトガース大学の人類学科教授、ライオネル・タイガー(Lionel Tiger)もそのような無神論者の中の一人だ。彼は神が脳を慰労する理由をこのように語った。「神は脳が本当に知りたがっている存在の原理と理由、そして死後の世界に対して説明して満足感まで」与え、「未来あるいは来世など不確実性が存在する人生は脳にストレスを与えるが」、宗教がその苦痛を減らす。『世界で一番幸せな脳』(本文177ページ)
 
『ただ人間だけが神を信じる』
人類学者ジャレド・ダイアモンドは、人間が神を信じるようになった最初の理由が正に『大きな脳』を持つようになったためだと言う。大きな脳を持つ人間は世の中に対して絶えず質問をした。人間と違い動物は質問をしない。ジャレド・ダイアモンドは質問をするのとしないことの差が結果的にどれくらい大きい差を作り出すのか、ニシキヘビの『跡』を例にあげて説明した。チンパンジーは自分を取って食べることもあるニシキヘビを発見すれば、木の上に逃げることができる程賢い。だが、茂みに残されたニシキヘビの跡を見ても、危険なニシキヘビが周辺にいることを識別する程賢くはない。人間は質問をする。……このように人間は絶えず質問をして、それに対する説明を探す。だからチンパンジーが私たち人間を動物園に閉じ込めるのでなく、人間がチンパンジーを動物園に閉じ込めることになったということだ。(本文197~198ページ)
 
『問題は信仰だ、このバカ!』
事実私たちの信仰は初めから不完全なものだった。5万年前、木の葉がカサッと音を立てたその日を読者も記憶しているだろう。その時私たちの遠い先祖は木の葉を揺さぶったのが熊だと思ったが、もしかしたら熊ではなかったかも知れない。熊と信じたのは生存のための選択であっただけで、本当に熊であったかそうでなかったかは分からない。だが、今私たちには科学がある。誰かが熱感知カメラで熊でなくウサギがいたということを見せるならば、誤った信仰を取り消して真実を認めるべきだ。それが誤った信仰を修正する唯一の道だ。(本文246~247ページ)
                         (翻訳:Naoko記者)
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