光復70周年、韓・日修交50周年記念企画シリーズ 西暦前3世紀頃、古朝鮮崩壊流浪民、九州、対馬など流入 日本史家「日本国祖神である天照大神の故国は韓国だ」 ところでスサノオが刃物で蛇を切る時に尾部から剣一本が出てきたといって、この剣が日本創世記の三種神器の中の一つに選ばれる神剣だという。 次に神代下編を要約してみる。その第一に、スサノオとアマテラスオオミカミ(天照大神)との間に生まれた長男‘正哉吾勝勝速日天忍穂耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)’は高皇産霊(タカミムスビ)の娘、拷幡千千姫(タクハタチヂヒメ)と結婚、息子の天津彦彦火瓊瓊杵(アマツヒコヒコホノニニギ)を産んだという話で始まる。 高皇産霊は外孫を豊葦原(トヨアシハラ)国の王にするために先に将帥を送ってそこを平定した。そして外孫の天津彦彦火瓊瓊杵をふとんに包んで日向という地域の高千穂峰に下した。これが日本の天孫降臨説になる。彼が鹿葦津姫(カアシツヒメ)に会って火蘭降(ホノスソリ)、彦火火出見(ヒコホホデミ)、火明命(ホアカリノミコト)の三兄弟を産む。 二番目に、長男の火蘭降は海で魚を釣り、次男の彦火火出見は山で狩猟をしたが後に互いに仕事を交換した。兄は狩猟が振るわないので弟に自分が与えた釣り針を返してくれと言った。しかし弟はすでに釣り針を失っていたので他の釣り針を差し出したが兄は受け取らず激怒した。(次男が)焦っていたところ、塩土老翁に出会い龍王国に入って龍王の娘豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚し、後に神武天皇の実父になる息子、彦波瀲式鸕鷀草葦不合命(ヒコナミサダケ ウガヤフキアエズノミコト)を産む。この子供が大きくなり後に叔母である玉依姫(タマヨリヒメ)を妻に迎え息子四兄弟をもうけたがその四番目の息子がまさに日本の初代天皇である神武天皇である。 以上が日本の神武天皇までの神話のあらすじだ。 ここで天祖大神との姻戚間になる高皇産霊(タカミムスビ)は高句麗王系が明らかだという見解が多い。その理由は、高句麗王朝はその性が高氏であったという点だ。これは神代から新羅系、高句麗系勢力が交替して日本列島に入って広がっていったことを物語っている。 また、徳川幕府官学の先祖と呼ばれ、林大学堂の創始者であり史家である林羅山は彼の著書『神武天皇論』で「いわゆる天孫が皆大陸から西日本に到来した人物だ」と言った。(東京大学出版会『日本史学講座』 8券、日本史学史)また、日本の駒澤大学の桜井教授も「私たち日本の先祖神である天照大神が馬韓人だった」と明らかにしたことがある。 すでに調べたところによると、古代朝鮮の三韓分治地域の中の一つである馬韓は韓半島と九州、対馬にかかった地域だ。クニノトコタチ、クニノサツチ、トヨクモノの三神が生まれる神話期は紀元前3世紀頃、今の遼東半島に位置した番朝鮮では、濊貊朝鮮などの古朝鮮が滅びてその流浪民が韓半島内陸に入ったりまたは、海を渡り対馬、九州などに上陸する時期に該当する。史家たちはこの時期をたいてい紀元前280年頃と見ている。したがって日本神話の形成は日本に渡っていった過去の朝鮮人の影響によるものだと見ているのだ。 またスサノオが戻っていったという根の国はどこなのか。言うまでもなく韓国だ。簡単な例を挙げると、日本の九州地方の人々はいまだ韓国を『根の国』『母の国』と呼ぶ。だからスサノオが「根国に戻った」ということは本来の故国に戻ったという話になる。弟の故国が韓国ならば姉である天照大神の故国もやはり韓国であることは当然だ。 明治時代日本人学者たちはその根国が韓国だと言ったことがあり、日帝強制占領期間にはソシモリといった。だから朝鮮総督の南次朗は江原道、春川地方の牛頭山にスサノオの神社を建てようとしたことがある。昔は春川を牛頭または牛首と呼んだ。『牛頭』または『牛首』はそのまま『ソシモリ』『牛の頭(ソェモリ)』『牛の頭(ソモリ)』と発音されるという点でそこを根国としたのだろう。 当時持ち主のない墓が牛頭山にあったが、南次朗はこれをスサノオの墓と思って根国と断定し、そこにスサノオの神社を建てようとしたということだ。(檀君研究者、申哲鎬(シン・チョルホ)氏の証言) しかし南次朗が春川に神社を建てようとしたことは逆に日本人が韓国に渡って行って先祖になったようにでっちあげる悪巧みだったのだ。 (翻訳:Naoko記者) <저작권자 ⓒ CRS NEWS 무단전재 및 재배포 금지>
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