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崖っぷちに立った宗教

이광열 기자 | 기사입력 2015/07/01 [17:31]
「宗教人がまず悔い改めて、『欲張り病』の治癒を祈祷すべき」

崖っぷちに立った宗教

「宗教人がまず悔い改めて、『欲張り病』の治癒を祈祷すべき」

이광열 기자 | 입력 : 2015/07/01 [17:31]

▲ 李沃龍 会長     ©毎日宗教新聞

「世の中が末世(終末)なのは明らか。世の中がなぜこのように回るのか!」

人々の口から「末世」という言葉が、頻発して出て来ます。世間では、呆れて物が言えない事件が絶えず発生しているからでしょう。宗教、政治、社会、環境、荒廃した人間性が限界に来ているようです。


私達は21世紀の科学文明時代に住んでいますが、いつも不安に震えています。また、MERSコロナウィルス(中東呼吸器症候群)のような不治のウイルス疾患、自然災害等、数多くの難題に直面しています。それだけでなく、地球村のあちらこちらで戦争とテロによって血に染まって行く姿が見られ、貧困層と富裕層間の葛藤の溝は深まるばかりで、道徳的な堕落と犯罪は日増しに猛威を振るっています。食糧難と水不足の事態によって生命体が死んで行き、原因が分からない伝染病の恐怖に震え、火山爆発・地震・津波等の自然災害と気候変化は、私達の生存に深刻な威嚇となっています。


臨界点を越えた人間性

人間の気性が荒くなって、悪賢くなり、残忍になりつつあります。非人間的へと変化し、それが極端になっています。手段と方法を選ばずに物質をかき集め、容赦無く他人を踏みにじり、人間性を喪失して行っています。人間は既に宇宙の秩序を破壊する主犯となり、同族を殺傷する邪鬼よりも更に怖い存在に変わってしまいました。このような今日の世の中を楽園だ、天国だと話す人はいないでしょう。

人間が正常な状態ではなく、世の中も正常な姿ではないようです。私の目には礼儀と道徳が崩れて、お金と快楽と暴力に走って落ちて行く有り様に見えます。上下の秩序が崩れた世の中になって行っているようです。未来のことを考えもしないで、今の自分自身のことだけを考えて飲み食いし、楽しみながら喜々としています。将来、「私達の子孫が生きる世の中はどうなるだろうか!」と心配する人が何人いるでしょうか?


《なぜ世界の半分は飢えるのか?》の著者である社会学者のジャン・ジグラーは、1日に10万人、5秒に1人が餓死する現実を嘆きます。食べ物が溢れている環境で、成人病予防とダイエットのためにわざと飢える人がいる一方、他方では食べる物が無くて餓死する人がこのように多いとは、呆れて物が言えません。


ひたすら自分だけのことを考える世の中で、果たして他人を思う世の中への変化が可能でしょうか? 私は、その希望を宗教から探せると思っています。なぜなら、全ての宗教は「愛しなさい、慈悲を施しなさい、善良に生きなさい」と教えており、平和で幸せな世界の具現を叫び、世の中の光と塩(他者を助ける存在の意味)、そして木魚であることを自任しているためです。


しかし、昨今の宗教の実状は、「人を救い、世の中を平和にするために存在する」という本来の使命を忘却しているようです。宗教間に葛藤が生じ、独善と腐敗によって満身瘡痍となり、宗教を信じない人からは後ろ指を指されながらも、御利益信仰をそそのかし、自身の宗教団体の宣伝と勢力拡大に総力を傾けています。信徒からは莫大な献金をかき集め、宗教施設を増やすことに先を争い、これに全てを注いています。宗教が世俗化されて物質の奴隷に転落しながら、宗教自体を遠ざける人々が少しずつ増えています。


「この世の末世」は、「宗教の終わる日」

今日の宗教が、社会的に関心を引くことができない理由は何でしょうか? それは、教祖の教えを正しく受け継げなかったからではないでしょうか? 人を大事にして愛し、窮極的には人の心性を変化させなければならない宗教が、その本来の役割を等閑視したままで勢力拡大にのみ走りました。これは、宗教が世間の人々を導いていく力を失ったという証左ではないかという気がします。宗教が内的に成熟しなければ、外形(団体組織)を拡大させて表面を派手に装うことのみに血眼になります。宗教が街の露店に居座れば、神に対する純粋な情熱と求道と救いの精神は消えて、政治・経済論理だけが残るようになります。


最近の宗教は、金権化と大型化、政治権力化、宗教団体の利己主義、御利益信仰、異端問題等のうず巻きに、ひっきりなしに巻き込まれています。これに伴う社会への弊害と悪影響は少なくありません。正道を離脱した宗教は、人に対して害になるだけであって、決して利益にはならないでしょう。人の痛みと苦痛、世の中の難問題を懐に抱いて共に悩みながら、解決策を提示しなければならない宗教が、信徒からの献金と奉仕によって宗教を権力集団化する行為は、悪魔に振り回されていると見るしかありません。


宗教が本来の使命から離脱して、信徒を正しく導いてあげることができない時には、予期しない愚を冒すことがあります。こうした逸脱行為が、神に反逆して人々に苦痛を与えかねないということです。


なぜ、宗教の宗派が数え切れない程に、続けて発生するのでしょうか? 啓示を受けて、自分達の考えが善だ、真理だと主張すると、完全な真理を見つけられずに変質しながら、物欲に埋没するためではないでしょうか? 宗教間でも自分の宗教が正しいと互いに戦うため、創造主の神が宗教混乱の主人公かのようになってしまい、神が転落してしまいました。
宗教人も善と愛の実践者になろうと信仰生活をするのではなく、自身の宗教の縄張りを拡大させて、自分達だけが福を受けるために神を利用する傾向が深まっています。


宗教にはこれ以上、善と愛が見られないようです。自分の宗教が正しい、最高だと主張する欲のためです。自分達の意見だけを掲げる宗教は、力が第一だと考える団体ですから、「欲望」それ自体です。世の中と人間を救うべき宗教が、自ら人と人の間に鉄板のような心の壁を作ってしまいました。こういう観点から、私は末世がこの世の終わりの日でなく、宗教の終わりの日ではないかという考えも、よくしました。


神よ、早くお越し下さい!


大部分の宗教は、末世に救世主の出現を強く主張します。末世になれば自分達の宗教の教祖が救世主として出現し、この世と人類を救うという内容です。しかし、有史以来、数多くの教祖と救世主が出現しましたが、人とこの世を救った教祖と救世主は唯の一人もいませんでした。人の罪を無くしてあげて、平和の世の中へと作るお方がまさに救世主なのに、私達はまだそのようなお方に会えませんでした。人間が、どうして人と世の中を救えますか?


人間が自分の心を統制してて生きれば誤ったことを直しやすいですが、人間は自分自身の精神と心と体を完全に統制出来る自由も無く、能力もありません。肉体が心の主人となって、心が肉体の欲求通りに生きる、主客転倒した人間になってしまったからです。

私は、この世の平和と幸福を遮る最大障害物は、まさに人の心の中にある欲望だと思います。欲望が個人を亡ぼし、家庭を亡ぼし、国を滅ぼして、世の中を滅ぼします。人間の心ので中で癌の塊として存在する、この「欲張り病」を直してこそ、個人の平和、家庭の平和、国の平和、世界の平和が訪ねて来ると固く信じています。


どこの誰がこういうことが出来ますか? 救世主は宗教と国家と人種を超越して、全体を調和させるお方であるべきです。そういう方が人間でしょうか? 人間と宇宙万物を創造した神でなくて、誰でしょうか? 肉体を持った人間、その誰でしょうか? 神は人間とこの世を創造されたお方です。明らかに救いの鍵も、神が持っておられるでしょう。


今日の個人と世の中のこのような問題は、人間が創造主である神の人間創造の目的を忘れて、自分勝手に生きて来た結果だと思います。宗教人がまず悔い改めて神に対し、人類の病巣であるこの「欲張り気」を治癒する道を開いて下さることを祈祷しなければならないでしょう。
「わたしはアルファであり、オメガである。やがて来られる方」。私は今日も崖っぷちに立った心情で、この言葉を信じて神にすがりつき、創造主である神が早く来られるように祈祷しています。(毎日宗教新聞会長)
(翻訳:石橋健一 東京特派員)



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