戦争後、貧しい韓国人たちと苦楽をともに…済州、江原地域で司牧活動
1956年韓国に派遣、オーストラリア出身ファン・フランシスコ司祭聖別死 戦争後、貧しい韓国人たちと苦楽をともに…済州、江原地域で司牧活動
戦争後、貧しい韓国人たちと苦楽をともに…済州、江原地域で司牧活動
64年間、韓国と縁を結んできたファン・フランシスコ神父が去る9日、済州のコロンバンハウスで死去した。享年89歳。
故人は1930年にオーストラリアで生まれ、1948年に聖コロンバン外国宣教会に入会し、1955年に司祭叙階を受けた。同氏は翌年の1956年、韓国に派遣され、江原道(カンウォンド)と済州島(チェジュド)で本堂の司牧をした。
故人は、最初の主任として派遣された江原道 旌善(カンウォンド チョンソン)で聖堂を建設し、戦後貧しく暮らしていた韓国人と苦楽を共にしながら、困難を分かち合った隣人であり司祭でもあった。
また、幼い頃から労働司牧にも関心が高く、オーストラリアカトリック労働青年会(JOC)の会員として活動した経験をもとに、青年リーダーを養成するために、束草 東明洞(ソクチョ トンミョンドン)で司牧する際、本堂に青年JOCチームを作ることもした。これは春川(チュンチョン)教区初めてのJOCの集いだ。
1980年代初めにはオーストラリアに派遣され、4年間コロンバン神学院で指導神父として活動しながらシドニーで韓人司牧をしたりもした。1985年、再び韓国に派遣された故人はソウル新林(シンリム)10洞「愛の家」で労働司牧を始めた。
しかし、心臓が悪く、続けることが難しくなり、済州教区からキム・チャンリョル司教の要請を受け、済州で本堂の司牧を始め、2009年まで働いた。故人は、引退後も済州(チェジュ)コロンバンハウスのマネージャーとして暮らし、後援会員のための活動、フィリピン移住民司牧など宣教を続けた。
故人は「コロンバン宣教」2014年夏号に掲載されたインタビューで「使徒パウロのお言葉どおりキリスト人ならみんな家族」とし「民族と言語、生活水準を超えて互いに理解しあわなければならず、差別から脱して誰でも愛することができなければならない」と述べたことがある。そして「韓国社会はいまだにこれを実行できずにいる」とし「真のキリスト人になってこそ、このすべてを実践することができる」と述べた。
葬儀場所は済州中央主教聖堂であり、葬儀ミサは11日午前10時に行われた。埋葬地は、済州ファンサピョン聖職者墓地だ。
(翻訳:SAORI記者) <저작권자 ⓒ CRS NEWS 무단전재 및 재배포 금지>
댓글
|
많이 본 기사
많이 본 기사
모바일 상단 구글 배너
|