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命がけで完成したインドの芬皇寺…建築総括 棟梁、パク・チョルス氏「寺を建てる途中、遺書まで書いた」

SAORI記者 | 기사입력 2022/06/10 [14:46]
韓屋建築20年のベテラン…「劣悪な環境の中、お釈迦さまの家を建てなければならないという使命感で働いている」

命がけで完成したインドの芬皇寺…建築総括 棟梁、パク・チョルス氏「寺を建てる途中、遺書まで書いた」

韓屋建築20年のベテラン…「劣悪な環境の中、お釈迦さまの家を建てなければならないという使命感で働いている」

SAORI記者 | 입력 : 2022/06/10 [14:46]

韓屋建築20年のベテラン「劣悪な環境の中、お釈迦さまの家を建てなければならないという使命感で働いている」

 

仏陀が悟りを得た菩提樹の木があり、世界仏教四大聖地とされるインドのビハール州ブッダガヤに韓国伝統様式の寺院である芬皇寺が竣工した。大韓仏教曹渓宗の関係者をはじめ、多くの仏教信者が寺院名である「芬皇」(白い蓮華)のように、ここで加被(仏の慈悲を衆生に施すこと)が再び起こることを期待した。

 

曹渓宗は521日、芬皇寺大雄宝殿前で芬皇寺の開所を知らせた。総務院長の圓行僧侶をはじめとする宗団僧侶たちと国内仏者150人余りにチャン・ジェボク駐インド韓国大使、ビハール州政府関係者、世界仏教徒連盟事務総長のダンマピヤ・バンテ僧侶、現地僧侶など合わせて500人余りが参加し竣工を祝った。

 

ところが芬皇寺が竣工するまでは、建築の責任を負った棟梁の命をかけての見えない犠牲があった。インド芬皇寺の建築総括責任者の棟梁パク・チョルス(67)氏は、「15キロも痩せた。めまいがし大変で死ぬかもしれないと思い遺書まで書いておいた」と打ち明けた。彼には過去1年半は、寺を建てるために死闘を繰り広げた時間だった。新型コロナウイルス感染症(以下 コロナ19)の激しい脅威と殺人的なインドの猛暑の中で、彼の命も揺れた。さまざまな障害を克服し、最後の貢包(貢包:寺院の柱頭に設置して上部屋根の荷重を受けるように設置した構造物)が無事に上がる姿を見た時は涙が流れたりもした。これまでどれだけ大変だったか、彼は「建て直せと言われたら建てられない」と首を横に振ったほどだ。しかし彼は「お釈迦さまの家を建てなければならないという使命感でやった」と明らかにした。

 

▲ インドのビハール州ブダガヤの芬皇寺建築総括責任を引き受けた棟梁パク・チョルス氏が指で示しながら説明している。

 

 

パク氏は若い頃、建設業をしながらビルをたくさん建て、最近20年間は韓屋建築の経験を積んだ。その縁で芬皇寺の工事を引き受けることになった。

 

豊富な経験にもかかわらず、インドに韓国伝統様式の寺院を建てるのは容易ではなかったという。気温が50度に上がる場合が多く、雨期の68月には湿った気候が押し寄せ、普通の木材では寺院を建てることができなかった。その上、芬皇寺建立の予定敷地とその周辺は雨が降ると水が溜まるところなので、敷地工事も新しくしなければならなかった。彼は、芬皇寺の基壇を3.5メートルに高める代わりに、敷地の下は深く掘って水が流れるようにした。木材の代わりに湿った気候によく耐える鉄筋とコンクリートを使った。芬皇寺大雄宝殿のすべての柱と壁面はコンクリートだ。屋根の荷重を支える構造物である貢包もコンクリートで製作して持ち上げた。ドアもねじれるのを防ぐために鉄材を活用した。貢包に丹青を美しく彩るのには木材建築物と大差がなかった。

 

「芬皇寺の貢包は五包です。貢包を持ち上げるのが難しかったが、お釈迦さまを祀るという使命感でしました。最後の貢包を持ち上げる時は本当に感銘を受けて涙が出ました」

 

パク氏は「下に水が流れるため、潜函工法(コンクリートの箱を作って沈め建築物の基礎とする工法)を活用した」と説明した。コンクリートで建てるため、ずれないように一度にぴったりと建てなければならず、毎晩数え切れないほど計算して、もしかして間違うのではないかと心配する日も多かった。

 

▲ 芬皇寺の建築総括責任者の棟梁パク・チョルス氏がインド芬皇寺前で竣工過程について説明している。

 

 

パク氏は軒の形を見れば、その寺院を建てた人の性向が分かると話した。軒がたくさん上がれば中国の寺院のようで、軒が下がりすぎると気が抜ける感じがすると指摘した。彼は両腕を広げてゆっくり上下に振りながら、鶴が羽ばたくように芬皇寺の軒が「飛翔する」と話した。そして「鶴が翼を広げ上げて最も美しい姿」と自信を示した。

 

今は笑って話すことができるが、インドの芬皇寺はパク氏の命をかけた作品だ。コロナ19が猛威を振るっていた202010月、現地に渡ったパク氏は、インドの劣悪な技術力と殺人的な猛暑、そして何よりもコロナ19の脅威の中で竣工期日に合わせようと、多くの夜をまともに眠れずに過ごした。

 

他の分野の従事者も同じだが、コロナ19は彼の作業に大きな障害となった。パク氏は「コロナ19が怖かった。昨年、ここで25人が感染した」とし、「韓国人も来なかったので、全く知らないインド人を連れて仕事をした」と話した。竣工した日も最高気温が44度を記録し、現地気温は暑い時には49度まで上がり、現地人も倒れるほどだった。この渦中でコロナ19に感染したような症状も現れ、真剣な気持ちで遺書まで書いた。

 

▲ 竣工式を翌日に控えた520日、インドの芬皇寺の様子。遠く左に仏陀が悟りを得た場所を記念して建てられたマッハボディ大塔が見える。

 

コロナ19と天気のように避けられない状況も大変だったが、軟弱な地盤にコンクリートで韓国の伝統寺院を建てるストレスは彼を最も苦しめる要素だった。韓国の寺院はたいてい木造建築物だが、暑くて湿気があり、虫までも強いインドは木造の建築物が耐えられない環境だった。このような環境のため、芬皇寺はすべてコンクリートで建てられた。

 

彼は韓屋建築の履歴だけで20年に及ぶベテランだ。コンクリート建物でマンションなどを建てた経験、木造建築物である韓屋を建てた経験があったので、コンクリートで韓屋を建てることができた。パク氏は「ここより難しいところもやってみたができないかという心情でした」と付け加えた。

 

▲ 芬皇寺の丹青は木のようだが、実際はすべてコンクリートだ。

 

 

韓屋は直線と曲線が出会って作る「線の美学」をもった建築物だ。パク氏が最も自負心をもつ部分は屋根の曲線美だった。

 

彼は「鶴の翼が肩より上がった時、美しい姿で飛翔する」と語りながら「正面から見ると鶴が飛んでいく姿が形成されるように軒が飛翔するようにした」と話した。軒がもう少し上がったり、さらに下がって物足りなさが残ることがないように、ちょうどよく作ったと説明する彼の眼差しから格別な自負心がうかがえた。

 

▲ インド芬皇寺の屋根の曲線

 

複雑な計算が一つも間違えずにぴったり合ったことも、厳しい環境の中で誰一人怪我をせず無事に完成したのも彼が感謝していることだ。パク氏は「多くの四部大衆が来て修行先にするというので達成感を感じる。修行に大いに役立ててほしい」と述べた。

 

芬皇寺は圓行僧侶、現地事業を総括したブッダパラ僧侶、50億ウォンを喜捨したソルメ菩薩・ヨンチェ菩薩ら数多くの縁が絡み合って作られた。圓行僧侶は3年前、ブッダガヤを一緒に訪問した七大宗教指導者たちが、各国が先を争って200余りの寺院を建てたブッダガヤに韓国伝統寺院がなくて不思議に思っているのを見て、菩提樹の木の下で発願した。ブッダパラ僧侶も25年前、慶尚南道梁山の通度寺で修行した時から仏教の発源地であるインドに韓国寺院を建立しようという夢を持っていた。

守岩 文潤洪 大記者/コラムニスト, moon4758@naver.com

(翻訳:SAORI記者)

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