生活宗教人の聖書研究
「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」(マタイによる福音書3章16節) 10月3日は天が開かれた日、すなわち「檀君」(建国神話の人物)が開いた古代朝鮮の建国日と信じて、信奉する日である。 「桓雄」(ファンウン)(「檀君」の父)が天の神の意志を受け継いで、初めて天を開いて太白山(テベクサン)の神檀樹の下に降りて来て、神市(天孫降臨の地)を開いて「弘益人間」(広く人間社会に利益を与える人間)の大業を始めた日を賛える日である。 我が国の始まりを天が開かれたとして見る、開天の聖書の聖句を探してみよう。 天は大気圏や星の空を意味するが、神様の居場所を称する場合も多い。 「主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。」(詩篇11章4節) 「天が開かれた」ということは、神様の顕現を見せるところに目的がある。 エゼキエルは天が開かれながら、神様の栄光の顕現を見た。(エゼキエル書1章1節)。 「天が開かれた」というのは、天と地の疎通の回復を意味している。 マタイによる福音書3章16節のイエスが洗礼を受ける時も、油を注がれた王が登場する新しい一頁が開かれたことをいう。 イエスは無花果の木の下で、祈祷によって真理を探求したナタナエルに、空が開かれてヤコブが見た(創世記28章10~13節)出来事と似ていたことを、「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」(ヨハネによる福音書1章51節)ことを約束された。 ステファノも「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った(使徒行伝7章56節)。 ペテロが皮革職人シモンの家の屋根の上で祈る時、民族的偏見から抜け出すようにと、「天に開かれた門(ヨハネの黙示録4章1節)を通じて、異邦人布教の版図を広げた。 使徒ヨハネは、「天に開かれた門」を通じて昇天した直後のイエスが、天の統治者としての戴冠式を見るように招請を受けた。またヨハネは、最後の日に「天の門」が開かれながら白馬に乗って凱旋将軍としてキリストが来られる姿を見た(ヨハネの黙示録19章11節)。 私たちは、最後の日に「天の門」が開かれた再臨の日を待ち焦がれる生活を送らなければならない。 <저작권자 ⓒ CRS NEWS 무단전재 및 재배포 금지>
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