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特別インタビュー●定山(チョンサン)僧侶(慶国寺・住職、哲学博士)

이광열 기자 | 기사입력 2013/11/01 [17:39]
「宗教と信仰よりも信頼が重要、信頼出来る宗教人になるべき」

特別インタビュー●定山(チョンサン)僧侶(慶国寺・住職、哲学博士)

「宗教と信仰よりも信頼が重要、信頼出来る宗教人になるべき」

이광열 기자 | 입력 : 2013/11/01 [17:39]

特別インタビュー●定山(チョンサン)僧侶(慶国寺・住職、哲学博士)

 

対談: 李玉龍(インターネット版「毎日宗教新聞」、「汎宗教新聞」発行人)

進行と司会: チャン・ジョンテ(本紙論説委員・三国遺事文化院長)

日時と場所: 9月27日、貞陵・慶国寺

 

写真 = 黄光顕 写真専門記者

 

「宗教と信仰よりも信頼が重要、信頼出来る宗教人にならなければ」

病気が無ければ医師が必要ないように、苦痛が無なければ宗教は必要ない

 

▲ 定山僧侶      ©黄光顕 記者

 

仏教界が10月11日の「総務院長」選挙を控えて落ち着かない時であった9月27日の午後、1325年(高麗、忠粛王12年)に創建された700年歴史の古刹、貞陵(チョンヌン)・慶国寺(キョングクサ)の定山(チョンサン)僧侶を訪ねた。多く人が訪れる北漢山(ブッカンサン)の登山道に位置しているが、ここから少し入った寺は別世界であった。

 

静かでこじんまりとしており、快適であった。道徳性と権力戦いによって綴られたような選挙戦(仏教界内の選挙戦)とは、遠く離れていた。定山僧侶が渡したくれた名刺も、「高麗大学校 韓国史研究所」の肩書きであり、俗名の元永晩(ウォン・ヨンマン)の後ろに括弧で「定山」として記されていた。肩書は「研究専任」。

 

36年前、「海印寺」でチグァン僧侶を師匠として迎えて出家した僧侶であるが、まだ若く見られるというので、「誕生日にご飯を食べないからだ」という冗談で答えてくれた。「仏教新聞 主幹」の経験はどうであったのかという質問に、「『夜間』よりも『週刊』が良い」と答える等、対談中はずっとユーモアを失なわず、よどみが無かった。「几帳面な学僧」であるという先入観が消えた。そうして見ると、彼の顔にはソフトさと余裕が一杯に浮かんでいた。仏教界内での「理判事判」(水と油の戦い)にあけくれているのとは、距離があった。

 

1600年前である372年(高句麗 小獣林王2年)に韓国に伝播されて以来、韓国仏教文化はこのように根を下ろしているのだという思いがした。すっかり選挙戦に包まれて、仏教が世間の心配事として見られることとは無関係に、多くの寺院と僧侶が静かに大衆に仏心を伝えているのである。いずれにせよ、世の中ではある時期に混乱とうねりが付きもので、仏教の長い歴史とその時代の状況も同じであった。反復の歴史であった。しかし、着実に大衆の苦痛を和らげる役割は、綿々として受け継がれて来た。

 

▲ 定山 僧侶(写真右側)と対談する李沃龍 発行人(中央)、司会するチャン・ジョンテ博士   ©黄光顕 記者


 「宗教の役割は予防、困難な時に予め訪ねる所」

 

 「宗教は心の病気を直す役割をします。衆生に苦痛が無ければ、宗教は必要ありません。病気が無ければ医師が必要ないのと同じです。」

 

定山僧侶は、宗教の役割に対する返答を易しく、かつ明確にした。

 

「寺に草と香り、米とお金を持って来るのは、心の中の苦痛を治癒するため」と言った。教理はよく分からないが、苦しくて大変な時に訪ねて来て、慰労を受けられるならば、それが宗教の役割を果たすことなのではないかということである。誰かを殺したいほどに憎む時、宗教を訪ねて心を整えることが出来るならば、それは立派な宗教というのである。登山服を着て寺に立ち寄って、合掌しながら心を平安に出来るのが寺と仏教の使命であると言った。

 

彼は、クリスチャンに関する話もした。「米国にいる時に出会ったクリスチャンが自らをクリスチャンと自称しながらも、生まれる時と死ぬ時、そして結婚式に出席する時と心の葛藤が生じる時、教会を訪ねると言いました。いつキリスト教の教理を勉強するのかと尋ねてみたら、機会があればすると言いました。誠実に生きれば良いではないかと、話しながらです。彼はそういうクリスチャンの心構えを高く評価した。「仏教的なクリスチャン」として受け入れたためであろう。

 

「警察が罪人を捕らえ、検察が起訴して、司法府が是非を判断したら、宗教は罪を予防する仕事をします。」「刑事司法研究会」の研究員であり、刑務所で教化をしたりもする彼は、あらゆる犯罪の根源的な解決方法として、予防が最も重要であると言った。警察、検事、判事の前に立つ人々に、「前もって心を正しく持たなければならなかった」と強調する。そして、宗教がその役割をすると言った。苦痛によって犯罪を行うものなのだが、その苦痛の心を安らかにしてくれるのが宗教というものである。

 

慶国寺では城北(ソンブク)警察署と一緒に、1~2ヶ月に1回、青少年を対象に学校暴力予防のための「ヒーリング・テンプル(Healing Temple)」行事を開催している。境内の散歩と法話、そして「Who am I」を考える瞑想時間を通して、心を治めるようにするという。犯罪予防のための社会参加に、宗教も同席するのである。

 

彼は宗教人らしくない、禅問答を思い出させる禅僧らしくない、現実的で実質的な人物であった。それで、忌憚なく話す姿に信頼が置けた。

 

罪の問題に対する対談をしながら、「サタン、悪魔」等の宗教用語を切り出すと、それに対して物ともせずに、犯罪の分析と対応方案を話した。「サタン、悪魔にそそのかされた」という言葉さえも、意味の無い迷信として否定するようであった。

 

「家庭教育が正しくなければ、予防にならないのです。成長期が不安であったり、愛を受けられなければ、愛を与えられなくて、非行に走ります。愛を受けた人が愛を施すことが出来て、表裏がありません。僧侶の世界でも人が生きる世の中であるため、そのような姿を見ます。基本教育がなっていない僧侶は、いくら修行しても利己的で、心の狭い品行が現れるものです。」

 

定山僧侶は、「愛は信頼」、「宗教は信仰」であると強調した。そして、「宗教と信仰よりも信頼が重要である」と言った。

 

「心が変われば行動が変わり、行動が変われば習慣となり、習慣が業となるのであり、これで運命が形成されるのです。」

 

彼は宗教人ではないかのように、人の運命が神の摂理や生まれつきの運命、観相等に決定されるのではなく、むしろ環境と教育によって形成された心と習慣、性格によって形成されるという科学的で現実的な解釈をするようであった。

 

そして、「信頼出来る宗教人」が最も重要であると説明した。修行者ではない哲学者の姿勢が見られた。

 

 

「愛を受けた人が、愛を施すことが出来る」

 

彼は恩師である第32代曹渓宗(チョゲジョン)総務院長のチグァン僧侶を限り無く信頼する。

 

彼は、「チグァン僧侶は仏弟子としての人生の指標は、人間が基本になることだと教えてくださり、人間が基本なるということは怠惰に陥らず、常に最善を尽くす人生を生きていけという意味」であると言った。また、「単純に学問的に勉強する学僧と知られていたが、格別な修行、勤勉、真面目を全て揃えて生きて来られた方」だととして、称賛している。(「チグァン僧侶 追悼碑建設発願文」を参照)

 

しかし、彼が恩師の僧侶を信頼するのは、何よりも人間としての基本的な姿であると言える。彼は先ず、「チグァン僧侶は中学1年生の時に出家なされたが、家庭教育をちゃんと受けられた」と前置きした。愛を受けたので愛を分かち合うことが出来、時には厳しかったが表裏が無かったという話である。

 

「私が軍隊に入隊して「チームスピリット訓練(韓・米合同軍事訓練)」をする時、部隊の横にある喫茶店で小額小切手を下さり、部隊員とマッコリで会食出来る様になさって下さったのが忘れられない。」

 

定山僧侶は、「そういう人情があるために、入寂(僧侶の死)後が大変で、夢でよく叱られた」と言った。彼はチグァン僧侶の「宗教団体においても、社会においても、権力や名声を競争して生きることに近付くな」という言葉をいつも心に刻んでいる。

 

しかし、実際にチグァン僧侶が総務院長の選挙に出た時は、3週間を徹夜で補佐しんがら、選挙運動に最善を尽くした。

 

「当時、第31代法蔵(ポプチャン)総務院長が急に入寂して、チグァン僧侶が東国大学総長をはじめとする学僧、宗教指導者としての容貌を備えていらっしゃった方なので、自然に総務院長推戴の雰囲気が造成されました。ところが、選挙の対立候補が現れたので、やはり選挙は選挙で、現実は現実でした。じっとしていては、いけないというのです。」

 

「利権と派閥争い」の選挙戦だとして遠ざけて避けるよりも、相手とぶつかってみるのが賢明な現実対応であったという。

 

定山僧侶はそのためか、どうしても避けがたい争いであるとか、教理研究派僧侶と寺の行政側の僧侶の区別を認めなかった。全てを自然な人間と宗教界の世界として、見ているようであった。定山僧侶は資本主義に便乗して行く宗教の現実とやるせなさを、そのまま認めていた。

 

「お金でもって、人の役割、先輩の役割、宗教人の役割の尺度になります。お金があってこそ良いこと、奉仕活動もします。大金を敢えて諦めれば良いのです。大金が無いからと言って、無視はされません。僅かなお金でもって、自身の役割を果たせない時が残念です。」

 

定山僧侶に「宗教とお金のアイロニーな関係をどのように解決するのか」と尋ねると、「出来ません」と答えた。率直であった。直接的な返答は冗談のように思えて、笑いが出て来た。しかし、それが現実であったし、賢答であった。

 

僧侶の気兼ね無い態度と発言は、彼の博士学位過程においてでもあった。「私も出来るのに…」と言いながら入った東国大学博士課程において、彼が書いた論文は「高麗時代僧官制研究」であった。何か大きな意味があったのかと質問したところ、「最も簡単で気軽に書ける論文が何か?」であったとの即答が戻って来た。現実的な選択であった。

 

しかし、そういう現実的な選択を基盤として少しずつ外周を拡大していく現実もなっている。高麗時代から遡れば、三国時代と統一新羅時代まで扱うようになり、韓半島から抜け出て中央アジア、西域、インドまで広めていくようになる。敦煌と慧超の「往五天竺国伝」(インド5ヶ国の巡礼旅行記)、法顕と釈迦の足跡を習得しなければならない。一然の「三国遺事」に現れた「仏教と民俗宗教との融合」過程も扱わざるを得ない。私達の仏教文化の根を訪ねる旅程である。

 

定山僧侶が」高麗大学韓国史研究所」の研究専任として責任を受け持っている「シルクロード文化と韓国仏教文化」という国際学術会議の共同事業も、その一環である。

 

シルクロードの文化伝播過程研究は、仏教文化の移動経路と韓国民族文化の紀元を探すこととして、美術史的な接近を越えて、歴史学的な接近を新しく試みる所に意味がある。また、西域の研究団体との協同研究を通して、「往五天竺国伝」の消失部分を復元して韓国仏教文化の原形を再点検する契機となる。この共同研究事業は、2022年までの10年間、進行される。

 

定山僧侶のこのような活動は、チグァン僧侶だけでなく、実父の影響も大きい。彼は父親が臨終するまでに幾度も話してくれた言葉を心に刻んでいる。

 

「出世、名誉、お金は、僧侶とは距離が離れている。僧侶としてよく生きて行くことを望む」という切実な願いであり、遺言であった。彼は、「師匠の後に続いて総務院長をしたくないか」という質問に、「私は宗教団体を代表する意志とビジョンを持っていません」と答えた。

 

▲ インタビュー後、「極楽宝殿」の前で記念撮影。慶国寺は珍しく「大雄殿」(本殿)の代わりに「極楽宝殿」が位置しており、その右側に「冥府殿」があるのが特徴である     ©黄光顕 記者

 

「『I love me』が葛藤と業を解消させる」

 

定山僧侶は、「冷静に考えて見て、むしろ宗教が存在しなかったならば…」という考えもしたと言った。

 

地域と階層の葛藤のように、宗教のせいで葛藤が生じる。家庭と社会、そして宗教間の葛藤が増幅されることに関して、宗教自体が関与する場合が多いと見る。宗教が言葉通りに「一番の教え」の役割を果たせなくて、心の苦痛を治癒することはおろか、心の苦痛を大きくさせて、葛藤をそそのかしたりもするという。宗教間の競争と、「私の宗教だけが正しい」という偏狭さが、社会の葛藤を助長させ、「社会の灯」の役割を放棄することであると考える。

 

各宗教の軍従将校が宣教と布教をしていると、「餅がチョコパイに、チョコパイがハンバーガーに、ハンバーガーが鶏の丸焼きとピザ」として、贈り物攻勢が続くので、これは宗教の本来の姿ではないと言った。 「1,000ウォン(約100円)未満で調整しながら、競争を避けなければならない」と助言した。

 

彼は「嫌うべきでない相手を嫌うことで、葛藤が生じる」と言った。姑と嫁との葛藤がこれで、宗教間の葛藤も同じであるという。宗教が嫌ってはいけない他宗教を嫌うから、葛藤が生じる。

 

定山僧侶は葛藤を解消するためには、「I love me」の精神が必要であると言った。「I love me」と言えば、「I love you」が自然と成される。運動すれば健康が付いてくるように、私と私の宗教を愛すれば、他宗教も愛するようになるということである。私を愛すれば心の苦痛が消え、他の人との葛藤を起こす犯罪も消える。業も解消させる。

 

彼は自分の宗教だけを正しいと信じて他宗教を非難して被害を受けさせるのは、真の自分愛ではないと言った。そういう宗教的な葛藤を耐えようとして心の病気になるのも、心の病と苦痛を治癒する真の宗教の姿ではないと強調した。彼は一般人と全ての宗教に、「I love me」を説法していた。



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