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考証された伝統祭礼儀式に則り、「園丘壇」にて「開天節」(建国記念日)の行事開催

이광열 기자 | 기사입력 2013/11/16 [18:06]

「南山祭礼文化院」主催、「11月5日が本当の開天節」

考証された伝統祭礼儀式に則り、「園丘壇」にて「開天節」(建国記念日)の行事開催

「南山祭礼文化院」主催、「11月5日が本当の開天節」

이광열 기자 | 입력 : 2013/11/16 [18:06]

▲ 11月5日、ホテルやビルに囲まれた「園丘壇」(ウォングダン)にて、「南山祭礼文化院」(院長:シン・ボクトン)が、伝統祭礼儀式により、「開天節」の行事が執り行われた。   ©毎日宗教新聞


檀紀4346年10月3日(陽暦11月5日)、開天節を迎えて、園丘壇(ウォングダン)で開天節の行事が執り行われた。「南山祭礼文化院」(院長:シン・ボクトン)が伝統祭礼儀式に則り、午前11時から進められた行事は、1時30分までの長時間にわたった。建国神話の始祖である檀君に対して祭祀・焼香して、4回の拝礼をする「参霊」、檀君に供え物を捧げる「奠幣」、6種類の祭物を捧げる「進饌」等の儀式が、「祭礼文化院」で考証してた儀式順にもれなく進行されたからである。

「天酒式」の儀式も、考証された方式に則って行なわれた。
儒教式の祭礼では「三献」と言って、神位に対して3回、酒を捧げる。捧げる順番により、「初献官」、「亜献官」、「終献官」と呼ばれる。
初献官としてパク・ヨンロク総裁(汎民族和合統一運動本部)による「天祝文」があり、「亜献官」の李沃龍発行人(毎日宗教新聞)が「天告文」、「終献官」のパク・ミョンソ理事(ペソル先生記念事業会)が「天願文」を読み上げた。引き続き、イ・デイン院長(韓国情報文化院)による「天符経」の奉読があった。
開天節歌の奏楽、ペ・ヨンギ名誉教授(崇義女子大学)による「辞霊」(香を焚き、参席者で4回の拝礼)儀式等、伝統方式の通りに進められた。

 
▲ 「天酒式」儀式で、「初献官」のパク・ヨンロク総裁(汎民族和合統一運動本部)による「天祝文」に続き、「亜献官」の李沃龍発行人(毎日宗教新聞の)が「天告文」が読み上げられている。     ©毎日宗教新聞


天を開く日を記念する民族行事が、「朝鮮ホテル」、「ロッテホテル」、「プレジデントホテル」等のビルの森に囲まれた「園丘壇」にて執り行われたが、主催側の真心を込めた儀式順や祈祷により、その意義を取り戻したかのようであった。
「園丘壇」は世祖3年(1464年)から433年間、中国の天祭(皇帝が天に捧げる祭礼)に奪われた後、1897年(高宗34年)の「大韓帝國」の皇帝即位式と共に取り戻した、天に捧げる祭礼を行えるように築造された物である。
旧「南別宮」跡の場所に丸い円型で壇を作って、壇地を造成した。
しかし、日韓併合時代、天祭は日本の天皇だけが出来るとして、「園丘壇」が取り壊される受難を経験した。
その場には「鉄道ホテル」(現 朝鮮ホテル)が建っており、今では、「ロッテ」、「プレジデント」等のホテルやビルに囲まれるようになった。


「愛国歌」(韓国国歌)とアリラン(民謡)の調べに合わせて「天符経」を歌うという、異彩を放った行事であった。現代に「開天節」の意義を見つける努力が際だった。

国家主導による檀君関連の祭礼に関する詳しい記録は、存在しない。
民間信仰が伝える文献には、10月3日という日が指摘されている。
19世紀の「巫堂来歴」には、「上元甲子の10月3日に神人である檀君が太白山に降りて来て、神教を立てて民を導いた」と書いてある。
国民がルーツを忘れないようにするため、毎年10月になると檀君が巫女に誠を尽くすようにさせたという。
朝鮮後期の平安道(ピョンアンド)で活動した金廉伯の「檀君神教教団」も10月3日と3月15日に祭礼を行ったが、檀君の誕生日と仙去日(死亡日)である。


「開天節」は「迎鼓」・「東盟」・「舞無天」(いずれも古代の高句麗や近辺諸国で行われていた祭礼)等に根源を持っているが、名称の歴史的な流れは正確でない。
旧大韓帝国末、「大倧教」(檀君神話を信奉する民族宗教)の「重光節」の根拠となる「檀君教佈明書」の冒頭には、「今日は我々の大皇祖檀君聖神の4237回目の開極立道之慶節也である。愚兄等の13人が白頭山の大崇殿において… 我々、同胞兄弟姉妹に謹んで告げる」と記されている。
佈明の日付を「檀君開極立道 4237年(1904) 10月3日」であると、終わりに明記した。

近代の「開天節」の紀元は、「大倧教」において探すことが出来る。
弘巌大宗師(羅喆)(「大倧教」の始祖)が「檀君教佈明書」の「檀君開極立道 4237年10月3日」を継承して、1910年9月27日、教命として儀式規程を定めながら第3項に、「開天節」は降世日と開国日が同時の10月3日であり、慶日を合称する」と明確にした。

光復(日韓併合の解放)後、国会が祝日に関する法律を制定する時、「国家に慶ばしい日」の4日の中の一つとして、「開天節」を指定、正式祝日となるに至った。

一方、本当の「開天節」である11月5日、「大倧教」の総本司(教団の中枢機関)もこの日の午前11時、江華島(カンファド)摩尼山(マニサン)塹星壇(チョムソンダン)にて、開天節の儀式を執り行った。
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