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「異端」と「似非」(エセ・インチキ)の基準

이광열 기자 | 기사입력 2013/11/16 [19:40]


和平書信

「異端」と「似非」(エセ・インチキ)の基準


和平書信

이광열 기자 | 입력 : 2013/11/16 [19:40]

◇宗教界において異端・インチキという言葉が乱舞しています。
異端の辞書的な意味、「自身が信じる以外の道」は、排他的な視点から見れば、宗教の是非を離れて自分の宗教以外は全て異端であると言えます。もう一つの辞書的な意味、「伝統や権威に反抗する主張や理論」という側面でも、異端は多くならざるを得ません。

初期キリスト教は正統のユダヤ教に挑発的であったので異端になったし、ギリシャ・ローマ神話体系に挑戦的であったので、ローマに対しても異端でした。


ルターは中世カトリックに反抗したのでカトリックに対して異端であったし、近来では「純福音教会」(韓国のキリスト教系の新興宗教)がやはり異端という非難を受けながらも、韓国最大の教会に成長しました。

「異端」の概念定義を見る時、「統一教会」をはじめとして「信仰村」、「神様の教会」、「新天地」、「エリム宣教会」等、新しく登場した宗教は全て異端として取り扱われます。

キリスト教の教派は全世界に25,000派を越え、全て聖書に根拠を置いて新しい教理が登場しますが、互いに矛盾する内容が多く、各々自らの教派に有利な解釈をしながら、その他の教派を異端と見なす傾向があります。

新羅時代の土俗信仰に抵抗した仏教の殉教者である「異次頓」(イチャドン)はやはり異端であり、朝鮮時代の儒教の伝統を無視したキリスト教は、惨殺すべき「洋鬼」であり異端でした。

 
◇「異端」という表現が、「エセ・インチキ」として見なされたりもします。
インチキ宗教とは、「うわべは似ているが、中身は完全に違う」という、詐欺の性格が強い宗教を指します。
排他的にならざるを得ない各々の信仰者の立場で表現する「異端」を、まさにインチキ宗教へと押しやるのです。異端の意味が、「正しくない道」と解釈されるのです。「異端=インチキ宗教」という等式が成立して、異端とインチキを罪悪視します。お互いに異端だと非難しながら、葛藤と分裂のみを助長する宗教界において、これからは「インチキの基準」を決めなければ、真の宗教の和合を成し遂げることが出来ないと考えます。
 
◇あるブロガーのサイトに、「インチキ宗教の10大特徴」がアップされました。宗教指導者が自身の宗教の枠組みを信者に強要しながら、信者を惑わせて不幸にさせるというのが主要内容です。歴史的検証と評価、教勢の大きさと信徒数、周囲の評判等の基準はありません。信者と信者と接する周辺の人の生活と心を苦しませるのか? 害を及ぼすのか?という評価基準が心に響きました。
多くの信徒を率いる公認された「正統宗教」であっても、権力争い、世襲等の混乱によって、信者に精神的・物質的な被害を与えるのなら、それはまさしく異端であり、インチキです。
いくら尤もらしい聖典を持っているとしても、信者の痛みを癒やしてくれなければ異端であり、信者には法の審判よりも神の審判を受けなさいと言いながら、自身が訴訟に巻き込まれていれば、インチキなのです。
 
◇創造主である神のご意志は、創造主の神と人と万物の全てに対して良い世の中を作ることであると信じます。そのご意志に忠実でなければ異端であり、インチキなのです。

私が信じる物ではないからと言って、インチキ、異端にはならないということなのです。人間が、異端とインチキを断定することは出来ません。但し、治癒能力等による教祖の神格化、時限付きの審判説、反社会的・反倫理的な教理、既成宗教に対する敵愾心や憎悪心の誘発、無分別な教理の混合等がインチキ・異端の代表的な特徴と言えます。
伝統的な教理に忠実な伝統宗教であることを打ち出したり、異端とインチキでないことを外部に知らせようとする行動が、創造主である神の目には余計なことに見えるでしょう。
「何の宗教、どこの教派?」ではなく、「どんな宗教? どんな教派?」であるのかという基準で見極めなければならないでしょう。

あるブロガーがアップした文章を、この論説「異端と似非(エセ・インチキ)の基準」の結びの言葉の代わりにしようと思います。
「ある宗教を信じても良い。但し、自身の視野を狭めることだけは止めよう。自身が行う誤りを発見出来ず、相手を攻撃して傷を与えることばかりをしながら、それは自身が信じる『真理』がさせるのだと考えるのは止めよう。全てに良い世の中を作るのが、正しい宗教の使命である。」

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