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啓示・神通力は、絶対的ではない

이광열 기자 | 기사입력 2014/09/30 [15:33]
「幻を見た、啓示を受けたという人を警戒し、気を付けなさい」

啓示・神通力は、絶対的ではない

「幻を見た、啓示を受けたという人を警戒し、気を付けなさい」

이광열 기자 | 입력 : 2014/09/30 [15:33]

◇宗教が多様で、分派に分かれる根本原因は、経典に対する見解の違いもありますが、神の啓示による場合が多いのです。新興教団は、ほとんどが教祖の新しい啓示によって形成されます。新しい時代と新しい指導者の誕生を宣言し、新しい真理が出現したことを知らせます。彼らは啓示を受け、幻を見て、異言することを信仰の最高峰と扇動して、目的のために手段を正当化したりもします。

 
祈祷と断食、徹夜など誠精(誠意と真心)生活に重点を置くようにさせて、目標を掲げ惑わして、「無条件信じて言われるとおりにすれば成熟でき、福を受けられ、死ねば天堂(天国)に行かせてくれる」という話で眩惑します。そして「すべての誤りはあなたの誠精が足りず、あなたの先祖が罪深く、戒律通りに実践できなかったため、あなたの責任だ。」とやりこめます。
 
◇稲や穀類は良い土壌に根をおろして風と太陽の光で成熟します。心も肉身を土台として成熟するという天地理致を忘却して肉身を無視し、心だけを優先視する一部の新興宗教が、隣人と周辺に被害を与えているのをしばしば目撃します。
 
◇我が国には自分を「弥勒仏」、「救世主」だという人が200人余り、「神様」だと自任する人は50人余りいるといいます。組織化されていない「救世主」、「神様」はその数を推し量ることが出来ないほどです。霊的啓示によって形成された100余りの新興教団に100万人の信徒がいます。彼らは純真で、弱い人々です。教祖を神的な存在だと信じるのが特徴です。「天国に入る14万4千人の中に入るようにしてあげよう」、「先祖を救援してあげよう」等、誘惑に負けて家庭を顧みず、子供たちを捨てて離婚し、職場を辞めて、学業をあきらめて、一生その枠から抜け出すことが出来ない信仰者が多いのです。
 
◇筆者も20代の頃に「神様の啓示を受ける」という集いに入って入山祈祷をし、40日徹夜祈祷もしました。いわゆる「啓示を受ける人」の言葉は「神様の御言葉」であって、絶対視して、まともな精神状態を失った境地になりました。「気違い」扱いされながらも、寝ても覚めても神様を唱えて生きていました。私の心の平安のために家族と隣人に被害を与えたのです。結局は、心の平安を得られなかっただけでなく、迷妄に溺れて神様の正しい御心もないがしろにしたという、後悔の思いが沸いてきます。
 
このような後悔を20代の純粋な時に予め悟っていればと思うと、残念でなりません。ただし私のように幼くて弱い人々に、私が経験した轍を踏まないように助言したいという思いがあります。それでこのように赤字経営で大変な『毎日宗教新聞』発行に全力を尽くしているのです。
 
◇聖書の申命記18章には、「幻を見た、啓示を受けたという人を警戒して気を付けなさい」という聖句があります。釈迦も弟子の「目連」に「神通力を使うな」と言いました。「神通力は真理を成就するにあたって、妄念となるためだ」と言いました。多夕(タソク)・柳永模(ユ・ヨンモ)は、「奇跡は真理ではないので惹かれてはならない。」と注意を与えました。
 
カトリックでは啓示に対して、次のような5種類の規定を定め信徒を指導しています。最初に、『公的な真理に符合するのか?』、二番目に『キリスト教信仰と一致するのか?』、三番目に『教導権の教えと一致するのか、体験者が教導権に順応するのか?』、四番目は『私的な啓示を受けた人がすべての面で正常か?』、五番目には『私的な啓示が真の霊的な実を結ぶようになるのか?』
 
◇このような観点から信仰者は宗教に接近しなければならず、宗教指導者は信徒に教育しなければならないでしょう。また、信仰の先輩たちも、周囲の兄弟姉妹たちにこのような助言をしなければならないでしょう。堕落した人間の中から出てきた人が、果たして誰を救おうというのですか? 「弥勒仏」、「鄭道令」(チョン・ドリョン=韓国で予言されている救世主)、「新孔子」、「救世主」だと騒ぐ人は偽物で、いんちきなので気を付けなければなりません。世の中を救う能力があると自信があるならば、世の中を救うまで静かにしていなければなりません。世の中を救うこともできないのに救世主だと騒げば、結局は人を惑わす詐欺師に過ぎません。
 
◇本紙が先程、インターネットの弊社サイトを通じて、ある新興教団の活動を紹介しました。記事は他の新興教団と比較して、その地位を備えていく姿や、自ら宗教の役割を果たしているという内容でした。私が読んでみると『新興教団』を前面に押し出し過ぎてはいないかと思ったのも事実です。多くの信者が、教祖の活動を褒め称えるコメントをしました。しかし一部の信者達は、新興教団の教祖を『教祖』と言ったことに対し、「彼は『教祖』ではなく『神様』だ」という文句をつけました。
 
挙げ句の果てには、ブログ等で教団側が名誉毀損の記事として判断し、記事の削除を要請して来ました。視野を広げて見れば、称賛一辺倒の記事よりも、寧ろ一般人へのイメージを良くする余地があったのに、『啓示を下す教祖』に対する絶対的な追従が、彼らの視野を狭くさせたようでした。絶対的な『啓示・神通力』を前面に押し出す新興教団の特徴と見ることができます。しかし、神様以外には絶対的というのはありえません。
 
◇「あなたのような人が行く天国には行かない。信仰者だと主張する前に人間になれ」という、ある信仰深い友達の言葉がすべての信仰者、宗教指導者に手本になると思います。新興教団であれ、どんな宗教であれ、自分だけの枠や絶対的な追従から抜け出して、普遍的で常識的な、世の中と人のために存在する時、その宗教は光を見るであろうと思えるのです。
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