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人間の‘パワハラ’と動物の‘マウンティング’

매일종교신문 | 기사입력 2017/11/06 [15:01]
私たちの社会全般におよぶ‘パワハラ’を見ながら

人間の‘パワハラ’と動物の‘マウンティング’

私たちの社会全般におよぶ‘パワハラ’を見ながら

매일종교신문 | 입력 : 2017/11/06 [15:01]

“自分より弱い人に対して天のごとく扱う人が天のような人”

 

人は誰でもお金、権力、学閥、名誉など外的価値を追って人生に没頭する。そうすることで強者’(持てる者)になり歓待を受けられるためだ。これらの力が人を評価する定規になってしまってから久しい。世の中は力強い者の天国で、力が弱い者には地獄と変わりがない。力を持つことができなかった時に感じる相対的貧困感は弱者を絶望の奈落に突き落とす。

 

強者になれば人々の上に君臨することができ、豪華に食べて楽に暮らすことを保証される。力が支配する社会、弱者に対する尊重と配慮がない社会を果たして人間社会といえるだろうか。『疎外された人々も良い暮らしができる世の中』を作ってみせるといった共産主義者なども実際に力を持つようになると同じ罠に陥ってしまった。

 

近ごろ私たちの社会の話題は断然‘パワーハラスメント’であった。政府が弊害の清算を叫んで対策に乗り出すと、今まで隠れていたパワハラが社会的な問題として浮上した。私たちの社会全般にわたったパワハラが次から次へとあらわれた。

 

大企業会長の運転手に対するパワハラ、フランチャイズ本社の加盟店主に対するパワハラ、在外公館で所属職員に対するパワハラ、軍隊と警察で上級者の下級者に対するパワハラ、政府機関や公共機関などの傘下機関に対するパワハラ、職場内で管理者の平社員に対するパワハラ、学校内で教授の学生に対するパワハラなどだ。

 

被害者は悲痛に暮れた反面、加害者は国民的非難を受けて自らの身を亡ぼした。自分の目を自らの手でほじくる間抜けな姿をさらすことになった。

 

なぜ、力ある者が無力な者をいじめるのだろうか。外面は大きくて派手だが、精神が幼いためだ。肉欲が理性を支配しているので、獣のように行動してしまうのだ。

 

動物たちのマウンティングと縄張り争いは生存本能だ。動物は食べるために生きる。食べることが人生の全てだ。餌の前では親も子供もない。動物社会は力が支配する。人々はこのような動物を下等動物、獣だと呼ぶ。人間も自分の人格だけ尊重して他人の人格は無視し、自分だけお金をたくさん儲けて贅沢三昧しようと権謀術数を使って、権勢を振るう人はこのような獣と違わない。

 

人が力があると己惚れて、傲慢で、横柄になればわれ知らずお尻から角が生える。すると肩からも角が生えて、頭にも角が生える。このように度々角が生えれば傍若無人に行動する。

 

人々は謙虚な人を仰ぎ見る。自分がいくら偉く振舞おうとしても偉くはならない。相手を高めてこそ(自分の人格も)高まる。自分より弱い人を人格的に対する人が人格者で、天のごとく扱う人が天のような人であり、自分の親兄弟のように対する人が親兄弟のような待遇を受ける。

 

人格者は人を権力や物質や知識や容貌で評価しない。善と愛と真理を価値の尺度とする。外面的なものは付随的なものであり、一時的なものにすぎない。

 

(翻訳:Naoko記者




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